ゲーム

最近話題のニッポン放送買収問題。
このニュース程、滑稽なものはないと思う。
何故なら、この問題、論点が無数に拡散させられている為、問題としての体を成していないためである。きっかけは、単なる「買収」であったのに、企業のあり方、法整備、果ては「心」なんてものまで持ち出されている。しかもこうした論点の拡散化は、当事者およびマスコミ(今回においては当事者=マスコミなんだが)、または周辺が意図的に引き起こしている様である。

こうしたニュースを見ていて思ったのが、「ゲーム」である。
この「ゲーム」をある意味で堀江氏の社会観として考えてしまった。

それは、2月の中旬ごろに放送されていた「いつみても波瀾万丈」の堀江氏がゲストの回をたまたま見ていたためである。

昼夜逆転している生活のため、こんなに朝早い(笑)、しかも辛気臭い番組は見ないのに、何故かそんな日に限り意味もなく早くに起き、「いいとも」増刊号を見つつザッピングしていた時に発見し、見てしまった。運命か?(笑)

生い立ちの再現Vを流した後の、堀江氏トーク中の言葉に引っ掛かってしまった。
要約すると
「社会にはルールと流れがあり、それを見極めて未だ注目されていないが、近々流れが来そうな所にビジネスチャンスがある」
というようなもの(だった気がする)。
それを鑑みて今回の騒動を見直してみると、将に言葉どおり実行している。
フジのTOBの最中という時期に「ルールに則り」に介入している。、落ち論、両方とも「盲点」という言葉の方が正しい気もするが、堀江氏の観点からすれば「ルール通り」であるし、少なくとも「違法」ではない。

「ルールに基づき、ミッションをクリアする」
これは、どのような「ゲーム」においても基本であり、「ルール」のない「ゲーム」は成り立たない。ただ、「ゲーム」というと「遊び」をイメージしがちであるが、スポーツ等の「試合」または「勝負」でもあり、言い換えれば「社会」を単純化したモデルとすることも出来る。
「社会」において「ルール」は言うまでもなく「法」であり、「法」のない「社会」は成立しない。同様に資本主義経済において「株」を持つものはその会社の「所有者」であり、これが成り立たないと「株式」、ひいては経済自体が成り立たなくなる。

堀江氏の行動はこうした規則性(ルール)通りであるように私には見えた。
そして、あまりにも純粋に「ゲーム」を行っている様に見える。