話題の「核武装論」

「核保有、議論はあっていい」…中川・自民政調会長(読売新聞)


北朝鮮の核実験決行⇒核武装化?という事態に至り、上記に見られる様に日本の「核武装論」が話題となっているらしい。

私の持論として、議論にタブーを作るべきではないと考えている。 「何故、人を殺してはいけないのか?」といった典型的な疑問に対し、「そんなことを考えることすらとんでもない」といった返答はむしろ自身も説明出来ない事を証明している。  
つまり、そういった「思考停止」が疑問の本質にたどり着くことを拒んでいるのである。


そういった点を踏まえると日本の「核武装論」も現在においては、ネットで散見できる「平和教育ボケ」といったものであろう。 国家の「核武装化」が現在持ち得る唯一の意味は、古くから語れているように「抑制力」である。
今回、上記の筋書き通り日本の「核武装化」が話題になりだしたのも、北朝鮮の「核武装化」?に対抗しその攻撃を抑止するため、というものである。

しかし、こうした構図は今回当てはまるとは思えない。
単純である、北朝鮮に対しては「核武装」が「抑止力」になるとは考えられないためである。「核武装」が「抑止力」となりうるのは、「核兵器を使用すること」=「使用した国家(ひいては地球そのもの)が壊滅」となるためである。

その点において北朝鮮は何を恐れるのであろう。国家体制や、国民や領土の維持であろうか。指導者たちの身の安全であろうか。
そんなものはすでに壊滅寸前である。
今回核実験を強行し、自国の「核武装化」をアピールしたということは、捨て身で起死回生を図ろうとしているに他ならない。むしろ、それすらも諦めて、近隣諸国や地球全体に対し無理心中を図ろうとしているのではないか、といった恐れもある。

そんな中で対北朝鮮として「核武装論」が出ているのは、韓国よりの報道にあった「北朝鮮の核実験」を「自民族の誇り」として喜んだものと同様、「おめでたい」としか言いようが無い。