リスク社会

スウェーデンの原子炉でメルトダウン寸前の事故(独立系メディア「今日のコラム」)
青山貞一:スウェーデン原発事故と日本のメディア・NGO(独立系メディア「今日のコラム」)
(RinRin王国)

今年8月15日付のニュースですが、本日見つけて大変驚いたので。
このサイトに掲載されている他のニュースや意見はイデオロギー色が強いので敬遠していた感があるのですが、「環境」等の「対権力」という色合いを強く持つ事件やニュースに関してのこういった情報は驚かされる事が多いです。ただし、「既存のメディアが報じなかった」という点がこの記事の一つの核となっているように、情報ソースの確かさと書き手の意図を吟味する必要があることは言うまでも無い。

メルトダウンという危機の身近さ」や「国の電力量全体の20%が減少」という点においてもその重大さは言うまでも無く、日本の社会がリスクの高い危うい状態の上に成り立っているか想像するに難くない。
ただし、私個人の意見として何を今更という感があるのも否定できない。
日本の社会の現状が危うい状態の上に成り立っていることは、「公害」の存在が明らかになった時点からそう変わりはない。つまり、50年ほど同じ話題でループしているだけである。「核兵器」も同様に。無論、起こりえる被害の大きさは年々拡大しているが、それを理解・把握していないのは「事件」が起こらないことを良い事に鈍感になり、忘れようとしているからに過ぎない。そして、「電力・エネルギー社会を否定せず、環境や公害に継承を鳴らす」バランスをとっているのは他でもない「既存メディア」である。

ただ、上のような構図に一つ付け加えるとすると「そうした危険を把握した上でそれに肯定も否定もせず、現状の生活を送っている」私のような「現代人」の存在であろう。

話題の「核武装論」

「核保有、議論はあっていい」…中川・自民政調会長(読売新聞)


北朝鮮の核実験決行⇒核武装化?という事態に至り、上記に見られる様に日本の「核武装論」が話題となっているらしい。

私の持論として、議論にタブーを作るべきではないと考えている。 「何故、人を殺してはいけないのか?」といった典型的な疑問に対し、「そんなことを考えることすらとんでもない」といった返答はむしろ自身も説明出来ない事を証明している。  
つまり、そういった「思考停止」が疑問の本質にたどり着くことを拒んでいるのである。


そういった点を踏まえると日本の「核武装論」も現在においては、ネットで散見できる「平和教育ボケ」といったものであろう。 国家の「核武装化」が現在持ち得る唯一の意味は、古くから語れているように「抑制力」である。
今回、上記の筋書き通り日本の「核武装化」が話題になりだしたのも、北朝鮮の「核武装化」?に対抗しその攻撃を抑止するため、というものである。

しかし、こうした構図は今回当てはまるとは思えない。
単純である、北朝鮮に対しては「核武装」が「抑止力」になるとは考えられないためである。「核武装」が「抑止力」となりうるのは、「核兵器を使用すること」=「使用した国家(ひいては地球そのもの)が壊滅」となるためである。

その点において北朝鮮は何を恐れるのであろう。国家体制や、国民や領土の維持であろうか。指導者たちの身の安全であろうか。
そんなものはすでに壊滅寸前である。
今回核実験を強行し、自国の「核武装化」をアピールしたということは、捨て身で起死回生を図ろうとしているに他ならない。むしろ、それすらも諦めて、近隣諸国や地球全体に対し無理心中を図ろうとしているのではないか、といった恐れもある。

そんな中で対北朝鮮として「核武装論」が出ているのは、韓国よりの報道にあった「北朝鮮の核実験」を「自民族の誇り」として喜んだものと同様、「おめでたい」としか言いようが無い。

小泉首相の参拝について

上記よりの続きとなるが、小泉首相の今回の参拝に関してはこの点はクリアしているといえる。内閣総理大臣という役職ゆえ全ての追悼式典および千鳥ヶ淵戦没者墓苑にも同日参拝をしている。イデオロギーにおいても同日の全国戦没者追悼式においてこれまでの政府の公式見解を踏襲する発言を行っている。小泉首相自体が特殊な存在であるため、参拝することがイデオロギーの賛同に繋がるという批判自体が理解出来ないかもしれないが。

ただ、小泉首相が「靖国神社」を政治的・外交的に利用しているという点は抑えなければいけない。総裁選における参拝の公約や中・韓を「抵抗勢力」と同様の立場にして日本国民にアピールし支持を広げているということは計算の上であろう。

「靖国問題」について

靖国問題」について、というより日中戦争から第二次世界大戦の日本軍については少し触れたことがあったと思う。今回は私なりに「靖国問題」をまとめてみる。

満州事件よりこの二つの戦争の終結までの一連の流れにおいて日本を中心として「昭和戦争」と読売新聞が最近名付けていて色々と思うこともあるのだが

端的に言うと「靖国問題」はイデオロギーとしての問題と政治・外交としての問題が意図的に混在されているのだと考える。

まず、イデオロギーとしての問題というのは、靖国神社自体が軍国主義国家主義というイデオロギーの象徴であり、その中心といえる存在である。靖国神社のHPにもしっかりその点が言及されているので説明は不要であろう。

そのため、「靖国神社」を参拝することはそうしたイデオロギーに賛同しているという批判も一定の説得力を有していると言える。しかし、それに対する答えとしての「戦没者の方々への追悼」という点がこうしたイデオロギーとしての問題を隠しているのである。

靖国神社」は日中戦争および太平洋戦争(「靖国神社」は大東亜戦争と表記)における犠牲者の最大の追悼施設である。そのため、イデオロギーへの賛同という点を強調せず、「戦没者の方々への追悼」という参拝理由が日本国民のみならず、中・韓を中心とする参拝反対諸国以外への他国に対しても一定の説得力を有する一因となっている。

戦没者の方々への追悼」という理由について、参拝反対側自体も公式的には異論を唱えることはなく、それ故、「靖国問題」がA級戦犯の合祀という問題に矮小化しているのである。


こうした点より一般的に「靖国問題」は政治・外交問題という側面が強くなっていく。自民党総裁選におけるこの問題に対するスタンスの違いのアピールだけでなく、中国の参拝反対の姿勢に対する台湾(国民党と民進党の対立)やベトナムの批判等はその典型ともいえる。


靖国問題」は様々な要素を持ちえながら、それに乗じ流れをそれぞれの側に通すため情報・意見が乱れ飛んでいる。特にマスコミが小出しにしか情報を出さないイデオロギーとしての問題である。

上述した「戦没者の方々への追悼」は一定の説得力を有しているという点について、何故「一定」しか有さないのかという点である。

それは「靖国神社」がイデオロギーであることの根拠でもあるが、「靖国神社」に祀られている戦没者の方々は軍人・軍属、またはそれに類する方々のみであるという点である。基本的に民間人、例えば、原爆の被害に遭われた方々は含まれていないという点である。

逆に言えば、「戦没者の方々への追悼」を参拝理由に挙げ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑や広島・長崎の平和記念式典、ましてや全国戦没者追悼式に見向きもしない方は戦没者の方々はダシに使ったイデオロギーの宣伝とも言える。

今日の試合だけは納得できない

日本代表を応援してきてこんな感情になったのは始めてかもしれない。
前回の豪州戦もジーコの采配には憤ったものだが、今日の比ではないと思う。

何故、後半一番で代える選手が三都主ではなかったのか!!!


玉田についても文句はあるが(審判にドリブルで突っ込んで行ったのも彼に見えたが)、最初から最後まで明らかな弱点を無視し続けたことだけは納得できない。

洗脳というか、踊らされてるというか

昨年末辺りから引き篭もってばかりで、体調が安定しません。

おまけにいつの間にか、某掲示板やら某画像掲示板に入り浸って、時間を空けたら各板を巡回してたりと、完全に廃人へまっしぐら。

友人(NEET研究!?)の研究対象になる日も近そうです。


さて、上記の巨大掲示板や画像掲示板に張り付いてると、出るわ出るわの非難・中傷・差別のアラシ。

今まで完全スルーしてたのにいつの間にか手持ちの情報として刷り込まれているのに気付き愕然としています。


思想的に中立なのを気取ってただ誤魔化してきた私ですが、ネットの効果は偉大だと改めて感心してみたり、自分の芯のなさに愕然としてみたりと楽しい毎日です。


ところで「最近の若者はネットのせいで右傾化してる!!」という色々な意味でバイアスの掛かった意見を思い出すと、ネットに入り浸りの生活をしていると偏った思想を刷り込まれてしまうというのには納得出来るのですが、ネットを利用する頻度が少ない「普通の若者」(笑)はどうなんだろうと考えてしまう。


つまり、ニュースや社会の動きにあまり興味のない層は「靖国問題」や外交関係等撒き餌の様な問題に対する意見の情報源は何かという事です。


興味ないから深く考えないという意見が大半以上かと思いますが、まったく知らないというのも希少でしょう。何らかの感想・意見があるとしてそのソースは何なのか?


・・・自他共に認める「こちら側の人間」なので、全く想像出来ないのが悲しい。